Saya Cinta Malaysia

マレーシアの文化や今昔のマレーシア旅。マレー系夫との国際結婚あれこれ。

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いろいろつらくしんどかった、マレーシア移住後初の夫婦でのラマダン月を終えて

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皆様、こんにちは。

 

2019年四月にマレーシアに引っ越しをしてから三週間ほどで、ラマダン月となりました。イスラムに改宗をしてから四度目のラマダン月ではありましたが、ハムザと結婚をしてから夫婦で過ごす初めてのラマダン月ともなりました。

 

イスラム圏のマレーシアで初めて本格的に過ごしたラマダン月、結婚をして夫とともに過ごすことでいろいろと感じたこと、そしてつらかったことも振り返ってみます。

 

 

【日本で一人でラマダン月を過ごしていた頃】

 

2016年に改宗をして以降も東京で一人暮らしをしていた私。その間に訪れた過去三回のラマダン月は、断食については常に試食がつきまとう食品企画の仕事をしながらだったことも含めて正直フルで食べないそして飲まないということができるとも思っておらず、断食をやり遂げた日は一カ月のうち1/3もなかったかも、という程度の取り組み方でした。

 

一人暮らしということもあるし近くにムスリマのお友達もいなかったので、ラマダン月のほとんどの日々を一人で過ごしていて、断食もラマダン月そのものも楽しいものとは思えなかったことも正直なところ。

 

【マレーシアで、そして夫婦で初めてのラマダン月と断食】

 

そして、改宗から四度目となる今年のラマダン月は私とハムザにとって結婚してから初めて夫婦一緒に過ごすラマダン月、さらには私がマレーシアに移住をして初めてこちらで迎えるラマダン月ともなりました。

 

 

今回はハムザがいろいろと不慣れな私を助けてくれて、断食や礼拝などを一緒に過ごすことができ、正直改宗後やっとまともに断食をすることができたかも、と思えるラマダン月となりました。

 

初めて尽くしの私をサポートしてくれたハムザには感謝の気持ち、そして同時に私自身は、しんどーーー!と思うことも多々ありでした。

 

【心身の体調管理に苦しんだ初めてのフル断食】

 

今回マレーシアでラマダン月を過ごしてみて大変だったことはいくつかありますが、特につらかったことが毎日の体調不良。

 

フルで断食をするのは初めてだったこともあり、自分の体調管理や心身の変化にすぐに気が付けず、急に熱が出て寝込んでしまったり気持ちが不安定になったりしたことが数回。

 

反省点としては、急に「全く食べない、飲まない」を徹底し過ぎたこと。予備の練習とか準備とか何もなく、ある日突然急にそれをし出したらそりゃあ体もびっくりしますよね。

 

そしてもう一つは自分の環境への適応力について過信していたこと。旅は多くしていた私ですが、母国を離れて外国で暮らすのは人生で初めて。そんな状況のなか移住後一カ月程度でラマダン月を迎えてしまったことで、空腹と礼拝などのプレッシャーから情緒不安定な状態に陥った自分をどうコントロールすればいいか分からない日が何度かありました。自分で思っていたよりも、実は新しい環境に慣れるには時間がかかったことは事実です。

 

自分でもこのままでいてはいけない自覚はあってハムザにつらい心境などを少し言ってみたけれど、なんとなく同じ空間にいて私だけが「つらい、しんどい」と言うのがはばかられ、「断食を休みたい」とは言えなくなってしまったことも正直な気持ち。私はこういう悪い癖があるので、これは直したいです。長い結婚生活を送っていきたいなら本音をきちんと言えないとだめだよなと思うから。

 

ラマダン月後半に差し掛かるあたりからはあまりにつらくて黙っていても涙が出てきたりするようになったので、日本在住のボーンムスリムの友人に相談もしました。友人はボーンムスリムで40年近く断食を経験しているけど、毎回ラマダン月最初の一週間くらいは精神的に不安定になったりするのだそうです。そんなに慣れた人でも!と正直驚きでした。そりゃあ不慣れな今の私が心の安定を損ねるも当然では…と妙に納得。

 

「自分のような長く断食を経験してる者でもそんな感じだから、ナオコさんはまだ四回目で赤ちゃんみたいなものだから。無理しないでキツい時はお休みしてください。マレーシアに引っ越して環境の変化だけでも大変だと思うし。」と言われ救われた気がしたし、その相談をしたことで少し気持ちを切り替えられて、その後の断食も無事に乗り切れました。(そう、今思えばこの時休んでも良かったのに、このしんどさの中でも続行していた私です。)

 

結局ラマダン月が終わってみれば、断食をお休みしたのは月経の期間のみであとはすべてをやり遂げることができたのですが、これは多いに反省点だらけ。来年以降は心身がつらい時は無理しないで休むことも考えよう、と。それで体を壊したりするのは嫌ですからね。

 

【礼拝に追われる毎日に疲れ切った一カ月】

 

そしてもう一つ、大変だったことが礼拝です。

 

マレーシアに引っ越しをしてからはハムザと一緒に礼拝をするようになり、見様見真似ではありながらも回数を増やすように。そのままラマダン月に突入をしたわけですが、そこで一気に毎日五回、という高いハードルが待ち受ける日々になりました。

 

 

断食に入る前の食事をするために朝早く(というか私にとってはまだ夜中の域ですけど)起きて礼拝もし、日没まで断食をする。そんな暮らしのリズムに適応できないままに日に礼拝を五回する、というノルマも追加されたことは私にとってはいっぱいいっぱいな出来事でした。

 

ハムザも結婚前はそこまで熱心にあれこれ実践していたわけではない(ように、私には見えていた)人なのですが、イスラムあるあるなのか、結婚をしたことで改宗者の私に一生懸命教えてくれる気持ちが高まるのか、非常に熱心になり。いろいろ教えてくれることはありがたいのですが、正直そんな一気に全部できないよ!となかなか気持ちがついていかなくて、途中心がつらくなった時期がありました。

 

ボーンムスリムの方や、改宗後熱心に日々勉強をされている方から見たらずいぶんとレベルの低い話だと思うのですが、マレーシアに引っ越してきて一カ月の間に食生活や暮らしが大きく変わり、断食をフルにして、今までしていなかった日に五回の礼拝をして、ということを一気に始めてしまったことは、キャパシティの狭い私にとってはハード過ぎました。これに関しては時期を見誤ったなととても後悔をしたのも正直な気持ちです。

 

【ラマダン月にすべきことはとても多い!】

 

断食にばかりフォーカスされがちなラマダン月。多くの非イスラムの方は断食だけをする一カ月だと思っている方も実は多いのではないでしょうか。

 

このラマダン月には断食以外にも、モスクに出向いて毎晩一時間くらいかけて行うTaraweeh(タラウィー礼拝)に参加をしたりクルアーンの勉強をしたり、もちろん礼拝も日に五回熱心に行うことなど、とにかくこの一カ月は神様のために善行に励みます。

 

そう、すべきことやしたほうが良いことはたくさんあるのですが、私は日に五回の礼拝をこなすこと、そして断食をすることで精一杯でした。精一杯というか、すでにキャパシティを超えていて無理。ラマダン月後半は一日の中で三回目くらいの礼拝時点で体力が尽きている感じで、それでもなんとか流されて一緒に礼拝をするか、どうしても無理な時は「今回はスキップする」と宣言してお休みするといった具合でした。

 

 

先ほども書いた夜の長いタラウィー礼拝は、暮らしているコンドミニアムの一階にあるSurau(スラウ/礼拝所)で毎夜開催されていたため数回行ったのですが、長すぎてかなり体力を消耗してしまい心がついていかなくなり、自ら「もう行かない」とギブアップ宣言をして以降、行きませんでした。

 

一日断食をした夜、19:30くらいにご飯を食べてから急いで洗い物をしてマグリブの礼拝をして忙しない一時間を過ごしたと思ったら、またその後一時間のロング礼拝に行けるってみんな体力があるなあと感心してしまいました。やっと断食も終わってひと息ついたんだから、私はもうゆっくりしたいよというのが本音だった!

 

【マレーシアだったからできたラマダン月の過ごし方】

 

と、いろいろな葛藤はあったものの、振り返ってみればある意味無理やりでもそういうモードに持っていって、日々イスラムのことを考える時間ができたことはとても良かったですし、ラマダン月中はそれをこなすことで精一杯で、つらいという感覚にはなりませんでした。(むしろ振り返ってみた今のほうがつらい笑)

 

 

東京でそのまま暮らしていたらできなかったこういう暮らしにシフトでき、そして教えてくれる人もいて、というありがたい環境に感謝をしながら過ごしていた一カ月でした。

 

本当はもっといろいろできたら良かったのかもしれないけれど、、、でもこれが私には精一杯だったとも感じています。

 

【心のバランスを保つことが一番難しかった一カ月】

 

こうして振り返ってみると、傍目にはどう映るか分からないけれどギリギリの気持ちのところで均衡を保っていた一カ月だったと感じています。

 

イスラムのことをここまでいろいろ真剣に考えたのは正直改宗をしてから初めてだったのと同時に、毎日「やらなくては」という焦りのようなものに追いかけられている感じで、幸福感と焦燥感とが一気に押し寄せる日々で。そんな毎日をギリギリのところでバランスを保ちながら過ごしていたような。

 

この一カ月の期間、そのバランスが崩れると気持ちが崩壊してしまいいつもなら流せるハムザの何気ないひと言や行動にかみついたり、号泣したりしてしまったことが二度ほどありました。普段あまり言い争いになることがない夫婦なので、あそこまでの険悪さになるということは私がよほど限界だったのだということの裏返しでもありますね。

 

これはハムザも同じで、移住後すぐの生活を整えるためのあれこれに加えて、ラマダン月の私の世話まで一生懸命取り組んでくれていた彼も疲れたのではないかなと。ひどい態度を取ったりしてすごく申し訳なく思いましたし、とても感謝もしています。彼だって断食してて体はしんどいのにね。とは言うものの、無理なものは無理なんですが(笑)。

 

【現実のラマダン月を知ることができた】

 

と、初めてマレーシアでハムザとともに過ごした私のラマダン月はこんな感じでした。

 

皆さんもよく日本や非イスラム圏のメディアが伝えるラマダン月の話題は、「ラマダン月はラマダンバザールが楽しい!」とか「朝まで宴会!」など浮かれた感じの内容を目にしませんか?

 

ラマダンバザールも盛り上がることは本当だし、朝まで食べ続けて夜更かしをする人がいることも本当ですが、実際のところ多くの人はわりと地味に過ごしていることも事実かも。

 

朝も早くて礼拝も普段より熱心に行うし、食事の支度もいつもより実は大変です。やることが多いのに断食をしていて体力は落ちているから当然動きは鈍くなります。疲れやすくなったり疲労がたまったりもするから、案外断食明けの夜ご飯も家で質素に済ませたりするし、一日断食をした後だと胃も小さくなっていてそんなに食べられなくて食事の量も少ないです。実際私はこの一カ月で5Kg体重が落ちました。

 

マレーシアで暮らしていても、イスラムの人と非イスラムの人ではラマダン月の楽しみ方や印象も変わるのかも。先ほど書いたような「ラマダン月はラマダンバザールが楽しい!」とか「朝まで宴会!」という紹介は、実は非イスラムの方の目線で書かれていることが多いですよね。そんな現実も改めて垣間見えた一カ月でした。

 

【最後に】

 

初めてマレーシアでフル断食に挑んだラマダン月。

 

楽しいというよりは神様と向き合って、日々自分ができることを淡々と行う時なのだとつくづく感じられた一カ月になりました。それを知ることができただけも良かったですし、いろいろ気付きを得ることができ、今後もずーっと毎年続くここでのラマダン月の過ごし方を再考する一カ月となりました。