Saya Cinta Malaysia

マレーシアの文化や今昔のマレーシア旅。マレー系夫との国際結婚あれこれ。

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【一年総まとめ】マレーシアの家からほとんど出ていない2020年を振り返って

皆様、こんにちは。

 

今日は12月29日、2020年もあと3日で終わりです。皆様、2020年は本当にお疲れさまでした。そして大変お世話になり、本当にありがとうございました。どうぞ良い新年をお迎えください。そして2021年も引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

実は今日は私の誕生日。49歳となりました。

 

いつも年の瀬の誕生日を迎えるたび、ずいぶんと落ち着かない時期に生まれなあ…などと思う人生だったのですが、今年は特にいつもとは大きく違う一年を過ごしたからか、あれこれ考えてしまう誕生日となりました。

 

 

【厳しい活動制限令(MCO)が施行された2020年のマレーシア】

 

マレーシアで迎えた2020年の幕開け。マレーシアはそれぞれの民族の信仰する宗教の新年が大きなイベントとして捉えられるため、西洋暦の新年は一部の外国人達がお祝いをする程度で静かな幕開けとなりました。

 

そして、華系マレーシア人の新年であるチャイニーズ ニューイヤーを迎えた1月末あたりから世界中に拡大し始めた新型ウイルス。

 

マレーシアも例外ではなく少しずつ感染者が増え始め、3月に入って一気にクラスター感染を確認。2020年3月18日から、MCO(Movement Control Order)(活動制限令)と呼ばれる政府による厳しいSOPに基づく行動管理の施策が発表・施行されました。

 

マレーシアのMCOは世界基準で見てもかなり厳しいレベルとなりました。

 

仕事はエッセンシャルサービスに関わる内容以外は全て在宅勤務、もしくは休業として自宅待機。仕事や病院など緊急性を要する事項以外の外出は不可。外出が認められませんので、もちろん州境を越えるなどの移動も不可。食料品などの買い出しは認められるものの、一家の長(基本的には男性)のみが行うこと。学校や保育園等は全て休校・休園等々…。違反者に対しては厳しい罰金と罰則が科せられました。

 

毎日本当にどこにも行けず家の玄関からすら出ない毎日でした。

 

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日に何度も、我が家から眺めるこの景色で外出をした気持ちだけ味わう日々だったなあと。

 

【現在のマレーシアでの暮らし】

 

世界各国で長期間に渡るいわゆるロックダウンと呼ばれる封鎖が行われ、マレーシアも3月18日のMCO施行開始から少しずつ制限の緩和などを繰り返しつつ、この年末となりました。

 

現在はかなり制限が緩和されて日常的な生活はほぼ取り戻しつつありますが、多くの企業は未だ在宅勤務を続行していたり、学校などは休校のまま。

 

マスク不着用は罰金が科せられるなど不自由な部分も多々あるものの、3月から5月あたりの一歩も外に出られない暮らしからは解放されていますし、基本的には旅行や外出も認められているので、気持ちはずいぶんと楽に過ごせています。

 

【MCOの中過ごしたラマダン月とラマダン明けの祝祭ハリ ラヤ】

 

3月にMCOとなり、夫ハムザは在宅での勤務がスタート。5月はイスラムラマダン月に突入し、ずっと家から出られない中での断食となりました。

 

ラマダン月明けの祝祭Hari Raya(ハリ ラヤ)はイスラムでは一番大切な日とされており、例年であれば家族が一堂に会してお祝いをして長い休暇を楽しむのが習慣ですが、今年は州境越えが認められなかったため義実家に帰ることはできず、同州で暮らす義兄妹三家族で小じんまりと迎えました。

 

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正直、ラマダン月や断食、そしてハリラヤは私にとってはまだまだ慣れないことだらけで、フルセットで全て行った昨年はかなりしんどく、つらい、やめたいという感想が大部分を占めるくらい色々キツい思い出しかないので、今年はほどほどにならざるを得ない環境になったことはありがたかった、というのも本音です。

 

malaysiacinta.net

 

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でも、ハムザは義実家にも帰れず家族達との時間を過ごせないのでかわいそうだったなと。

 

ずーっと家で仕事をして、私とだけ顔を合わせて暮らし、ラマダン月中は礼拝やあれこれのフォローもしてくれて。たいして家事や料理が上手くない私のフォローまでするのですから…一人何役だよって感じですよね。そんな頑張ったラマダン月の後くらい義実家でのんびりとしたかっただろうなとかわいそうに思いました。

 

【ハムザとだから続けられたMCO下でのマレーシア暮らし】

 

そんな3月から5月の暮らしでしたが、この間ケンカになったのは一度のみ。穏やかに毎日を過ごすことができたのはとにかくハムザが何に対しても冷静で寛容に物事を見て、色々と工夫をして家での時間をできるだけ快適に楽しめるように、と心がけてくれたおかげだったからと思っています。

 

相手がハムザじゃなかったら、このMCOに突入しての24時間常に一緒!という夫婦二人きりのマレーシア暮らしは継続できなかったように思う、2020年。

 

別の人と暮らしていたらあっという間に息が詰まって破綻していただろうし、かと言って、マレーシアと日本を行き来できない世界情勢の中、以前のように東京で一人で暮らしていたらと思うと、それもまた恐ろしい…。

 

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今この2020年のタイミングで、ハムザという人と一緒にマレーシアで暮らせていることは私にとって色々な意味で助けになっていたなと振り返ります。

 

【2021年は日本に一時帰国が叶いますように!】

 

本当は2020年の間のどこかで一時帰国をして日本の家族とも過ごす時間を持ちたかったのですが、それはもちろん叶わずでした。

 

国を問わず皆我慢しているからと言えばそれまでですが、それでも本音を言えばすごく帰りたいです。移住してから丸二年母には会えていないので(他の家族は一度ずつマレーシアに遊びに来ました。)、やはり高齢なので心配でもあります。

 

でも、それも誰のせいでもなくて。帰れるタイミングが訪れたら帰る、ということでしか気持ちを落ち着かせることはできませんが、2021年はきっと帰れるはず、とその時を待っていたいと思っています。

 

【ハムザと家族と友達、そしてマレーシアという国に感謝】

 

今世界がこのような状況になり、自分がマレーシアという国に身を置いていて良かったと思うこと、そうは思わないこと、毎日色々な気持ちが行き来するし、時には落ち込んでしまうこともあります。

 

きっと2021年も大きく状況は変わることなく、しばらくはそれこそ数年単位で辛抱の時なのだと覚悟はしていますが、私にはハムザという支えになる人がいてくれるし、見守ってくれる日本の家族、マレーシアで助けてくれるハムザの義家族達、そして、ケラケラと笑いながらおしゃべりができる良い友人達ともマレーシアで出会えました。

 

たくさんの人に支えてもらって続けられていけそうに思う、私のマレーシア暮らしだと感じています。

 

それもこれも、マレーシアという国と私自身が築いてきた縁、そしてマレーシアと縁があってつながった人達があって得られている時間です。

 

少しずつ紡いできたご縁と時間をこれからも大切にしながら、2021年、そして49歳という新しい一年を過ごしていきたいと思っています。