Saya Cinta Malaysia

マレーシアの文化や今昔のマレーシア旅。マレー系夫との国際結婚あれこれ。

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バックパッカーのガイド本『地球の歩き方』で「不便な旅」を楽しんでいた頃

皆様、こんにちは。

 

今日は、私が大切に保管している懐かしい本と共に、ちょっと懐かしい話題を綴ってみたいと思います。

 

 

【私のマレーシア初上陸は1998年8月31日のムルデカ!】

 

私が初めてマレーシアの地を踏みしめたのは、1998年。なんと8月31日、そうマレーシアの独立記念日の日「ムルデカデー」に入国しました!と言っても、当時はそんなことも知らず、「この国はずいぶん国旗が多いのね。」くらいな印象でした(笑)。パスポートの入国スタンプを数年経って見返していたら、気が付いたのでした。

 

スマートフォンがない時代の旅人のお供は「地球の歩き方」】

 

私が外国を旅し始めた当時はスマートフォンなんてものはもちろんなく、PCでWebメールがやっとできるようになった、くらいな頃でした。バックパッカーの皆さんは地図やガイドブックを片手に旅していた時代です。

 

私は地図が読めないんですが(地図をぐるぐる回す人です)、何も情報がないのは無理という心配性だったので、皆さんにならって「地球の歩き方」を片手に旅をしていました。旅を重ねた今では全然心配性ではなくなり、事前情報収集も一切せずに、町でもGoogleMapも開かずに歩くことがほとんどになりましたが。性格ってこんなに変わるんですね(笑)。

 

今はネットやSNSの普及でガイドブックを持って旅する人はほとんどいないと思いますし、私も持って出かけることはありませんが、我が家には今、なぜか「地球の歩き方 マレーシア・ブルネイ」が四冊も本棚に鎮座しています。新しいものはつい先日発行された「2016~2017年版」。そして、一番古いものは2000年発行の「2001年~2002年版」です。

 

懐かしいですね。表紙も裂け、中に綴じ込まれた折り込みのマレー半島の地図もボロボロで取れてしまってページの間に挟み込んでいますが、何にも代えがたい私の宝物です。

 

 

 

【どこに行くにも持ち歩きボロボロになった思い出の一冊】

 

本当はマレーシア初上陸の際に持っていた、中身がカラーではない1997年発行のものがあったのですが、あまりに持ち歩きすぎてボロボロになってしまい、10年ほど前に捨ててしまったのです。でも、今思えばボロボロになってもとっておけば良かったな、とかなり後悔しています。

 

冒頭にも書いたように、当時はこれから訪れる町の情報を得る手段は人から教えてもらうか、ガイドブックから得るか、というスタイルの旅でした。毎日持ち歩いて、マレー半島とボルネオをこの一冊とともに歩き回りました。かなりな頻度でマレーシアに通い詰めていた頃でもあったのでその活躍度は半端なくて。その結果、このボロボロ具合となりました(笑)。

 

【懐かしい地図から辿るKLの著しい変化の様子】

 

今回ふと気持ちが向いて久しぶりに町の地図も見てみたら。KL(クアラ ルンプール)は、まだKL Sentral(KL セントラル)が「建設予定」となっています。まだ現在のKuala Lumpur駅(クアラ ルンプール駅=KLオールドステーション)が鉄道の中心駅だった頃です。

 

 

この頃のインドタウン、Brickfields(ブリックフィールズ)はかなり怪しい町だったのに、今はすっかり再開発も整い、「インド系の町」としてメジャーになっています。

 

ペナン島での常宿は今でいうヘリテイジホテルの趣】

 

この頃はPenang島(ペナン島)にもわりと頻繁に行っていました。なぜかCititel Penang(シティテル ペナン)に印をつけているけど、泊まったことはないのできっと目印とか待ち合わせとかのために場所を印つけたんだろうな。(でも、地図は読めません…)

 

 

当時の私のペナンの常宿は、広々とした庭園が素敵でスタッフがとっても親切だった「Oasis Hotel(オアシス ホテル)」でした。今のペナン島のヘリテイジホテルブームなんか目じゃないくらい、昔の趣をそのまま残した素敵なホテルでした。1泊20RM(約528円)程度で泊れる安宿でしたが、居心地は最高でした。

 

当時のペナン島は、今のような観光客たくさん!という雰囲気ではなく、なんとなく気だるい感じのバックパッカーがふらふらしていた町でしたね(笑)。

 

【初訪問からあまり変化がないことが嬉しい、クアンタンの町】

 

マレー半島東海岸Pahang州(パハン州)の町Kuantan(クアンタン)を初めて訪れたのも、2000年代でした。

 

 

当時、Sungai Kuantan(クアンタン川)沿いは夜になるとご飯を食べに集まる人達でに賑わい、そんな中に一人身を置いてご飯を食べて、夜風に吹かれながらのんびりと歩いて宿に帰るのが好きでした。

 

そして当時はこの川沿いにバスターミナルもあったのでした。川沿いのバスターミナルが移転してからもしばらくは「地球の歩き方」にそのままの表示になっていて、いつも本屋で立ち読みするたびに「もう変わってるのにな。」と思っていました。

 

クアンタンはその後も気に入ってしまい2010年代にも何度か訪れていますが、そんなに大きな町ではないこともあってか、バスターミナルと川沿いの変化以外は2000年の地図からあまり変化が激しくないのが個人的にはとても嬉しかったりします。

 

malaysiacinta.net

 

【不便だからこそ得られていたワクワク感が大きい旅の醍醐味】

 

と、こんな感じで懐かしくて読み耽ってしまいました。今のような、スマートフォンを片手に自分がどこにいるのかも正確に把握することができる状態の旅も時間のロスはなくて助かるし、それはそれで楽しいです。SNSやリアルタイムのメールやチャットで簡単に人と会うこともできるし、それも素敵な出会いをたくさん運んできてくれますよね。

 

でも、私はやはり自分が今度どんなところにたどり着くのかな、どんな人がいるのかな、と不安と期待が混ざった、あのなんとも言えないワクワク感を感じながら進む、「不便な旅」が好きだったなあと、この「地球の歩き方」を読み返して改めて思ったのでした。

 

日本で仕事に没頭している日々は、やはり常に「時間との勝負」で、「効率」を重視して動かざるを得ないし、それも嫌いではないです。というか、むしろ仕事だからこそ無駄は省いて効率を求めていきたい。

 

だからこそ、旅に出たら「無駄」とも思えることも楽しみたいし、マレーシアはそれこそ「無駄」だらけの国だったりするのもある意味事実(笑)。ガイドブックを握りしめて一人で旅していた頃は、そんな「無駄」を思いきり楽しんでいたなあと思い出しました。

 

【最後に】

 

久しぶりに本棚から取り出し、ふと開いてしまった「地球の歩き方」。当時の旅を振り返ったらあまりに懐かしく、そしてマレーシアと出会ってからの17年間のことを色々思い返して、ちょっとうるうる気味になったりと思い出に浸ってみました。

 

これから先もたくさんマレーシアを旅すると思いますが、その時その時の旅を楽しみながらも、初めて触れた様々なマレーシアに一喜一憂していた頃のことも忘れずにいたい、と感じた次第です。