Saya Cinta Malaysia

マレーシアの文化や今昔のマレーシア旅。マレー系夫との国際結婚あれこれ。

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「マレーシア人はそれぞれの宗教を尊重し合って仲良く暮らしている」は本当なのか

皆様、こんにちは。

 

マレーシアについて調べたことがある人なら誰しも、「マレーシアは多民族国家で、それぞれの宗教を尊重しあって仲良く暮らしています。」というマレーシアの紹介文を目にしたことがあるのではないでしょうか。政府観光局などを始め、マレーシアの魅力を発信する媒体などにはだいたい載っている文言です。

 

 

今日は普段私がマレーシアという国、そしてマレーシア人達と接していて感じていることを正直に綴ります。長文ですが、ご興味がある方はぜひ読んでいただけると幸いです。

 

 

【「マレーシアは多民族国家、それぞれの宗教を尊重しあっている」は本当?】


まず、本当に彼らは「それぞれの宗教を尊重しあって仲良く暮らしている」のか。

 

私は違うと感じています。私もマレーシアを一方的に好きで、そして自身の信仰を持たずに片面からばかり見続けていた頃はこの文言に疑問を抱くことはあまりありませんでした。(たまには疑問に感じる出来事にも遭遇しました。)

 

でも、今ははっきりと分かります。この文言は、長年マレーシアの国全体が目を瞑っている問題から目を逸らすための言葉にすぎないと思っています。

 

【改宗してから特別に意識するようになったイスラムの祝祭「ハリラヤ」】

 

昨日はイスラムの祝祭Hari Raya Puasa(ハリラヤ プアサ)でした。二年前にイスラムに改宗し、私にとっては三度目となった今回のハリ ラヤ。

 

私は2018年現在、日本で日本企業に勤務する身ですから普通に働いており通常営業です(笑)。それ自体はイスラムとは無縁の日本企業に勤める身として当然なので気にしていませんが、やはり自分の信仰の区切りとなる日に家族や大切な人と過ごすことができないというのはとても寂しく、そして今回ほどこのハリ ラヤについてあれこれと深く考えて過ごした日はありませんでした。

 

これまで漠然とお祝いごと、お祭りごととして捉えていたハリ ラヤが急に自身にとって特別な日という意識が生まれ、私の心身にイスラムという信仰が少しは根付き始めたスタートなのかな、という自覚を改めて感じることができました。

 

【他宗教イベントに興味が向かなくなった理由】

 

私は自分がイスラムになるまで、ハリ ラヤはマレーシアに存在する宗教の祝祭のひとつとして捉え、自分が信仰していなくてもおめでたい雰囲気は楽しみたい!という気持ちからハリ ラヤをお祝いしていました。それはイスラムに限らず例えば華人のチャイニーズ ニュー イヤーやインド系のディーパバリも同じくで、マレーシア人達が祝う宗教イベントには何かしら興味を持って友人にメッセージを送ったりしていたものです。


そして今年、気がついてしまったこと。イスラムになるまでは常に意識をしてお祝いもしていた、チャイニーズニューイヤーやディーパバリにほとんど心が傾かなくなったこと。この二年、以前なら何気なくSNSに書き込んだりしていた他宗教へのお祝いメッセージを一切行わなくなりました。「しない」と決めたわけではないけど心がそこに行かなくなり、気がつかないのです。気がついたらその日は過ぎて終わっていたということもありましたし、知っていても自分にとっては「普通の日」でした。

 

この自分自身の変化についてはこれまでもぼんやりと考えることはあり、「改宗したから興味がわかなくなったのかな?」と思う程度でしたが、今回改めて考え、そうかこれがマレーシアに関わる人達が言う「マレーシアは多民族国家で、それぞれの宗教を尊重しあって仲良く暮らしています。」の真実だな、と気が付きました。

 

【「それぞれの宗教を尊重しあって仲良く暮らしている。」の真実】

 

「それぞれの宗教を尊重しあって仲良く暮らしている。」とういう前向きな姿勢ではないのです。良くも悪くも、「それぞれの宗教に関心がないため、関わることなく暮らしている。」が正しいのだと思います。

 

日本人は、日々の生活に根付いた形で信仰を持つ人は少ないのが現実。もしくは普段は無宗教、無信仰という人もいますね。私も昔はそうでしたが、信仰をそのように捉える場合、自分が信仰する神様とそれ以外の神様の関係性はとても曖昧です。だから日本人はお正月は神社に初詣に行き、結婚式では神父さんに永遠の愛を誓い、クリスマスにはケーキを食べたりできます。私も日本である年齢まではそういうことをしていたし、それが日本人の信仰に対する姿勢、そして国民性だと理解しています。

 

でも、自分にとっての確固たる信仰があり、日々の暮らしもその信仰が基本となる生活を送るようになると、自ずと他の信仰や神様への関心は薄くなるのだと思いました。

 

【多くのマレーシア人は信仰と人生がワンセット】

 

多くのマレーシア人は、日本人とは比較にならないほど信仰が自身の人生にセットとなっていて、信仰なくしての暮らしは考えられない生き方の場合は多いです。そんな彼らにとって大切なことは自身の信仰であり、自分の信仰以外の他民族についてはほとんど興味がないのだろうと思います。また、自分の信仰に必要以上に踏み込まれることについても抵抗感を抱きますので、お互いにそれを意識して守っていることもあると思います。

 

もちろん、例えばマレーシアンムスリムとマレーシア華人のミックスのご夫婦だったり、国際結婚をして複数の文化や信仰が一つの家庭の中に共存している場合はそれぞれの実家での信仰が違うため、親族等で集まった際にそれぞれの宗教行事を体験することもあって興味の度合いは深くなると思いますが、それもマレーシア人同士では珍しいことだと思います。

 

マレーシア人同士の婚姻の場合、多くの場合は同じ民族同士で結婚し、たとえ元は違う信仰だったとしても、例えばイスラムの場合は婚姻の際の改宗が必要となりますから家庭内での信仰は自ずとひとつとなります。そんな暮らしを日々送っていたら他の信仰への関わりは自然と薄れていく人が多くなるでしょうし、結果、仕事などで必要な場合以外はあまり関わりはない、という暮らし方になるのだと思います。

 

もちろん、友達との関係は信仰を超えて成立していることは多く、実際私や私の周囲の友人達も、民族を超えて交流をしていることは多いです。それぞれの信仰のイベント時には招待しあったりと小さなコミュニティレベルでの交流はあります。

 

でもそれはあくまでそのレベルでの話で、もっと大所帯のコミュニティレベルとなると、交流はしてもある一線はまたがないという感じの暗黙のルールのもとで、必要以上にお互いに踏み込まない、踏み込ませない空気はあります。彼らはマレーシアの歴史からもお互い平和に暮らせる術を知っているのでしょう。

 

その結果だんだんと無関心が進み、「干渉をしない」暮らしに結び付いているのだろうなと。

 

【最後に】

 

長年付き合ってきたマレーシアについて、ハリ ラヤをきっかけに深く考えることになった2018年。自分自身がイスラムに改宗したことで、今までとは違った心理状況からマレーシアを見つめるようになって三年目にして長年ぼんやりと感じていたことを、やっと文章に記すことができたように思います。


マレーシアの良さとして慣用句のように語られる「お互いの宗教を尊重する」の真意は、実はお互いへの無関心と無干渉の裏返しと改めて実感し、私にとっても大きな気付きとなりました。これからのマレーシアへの視点にまた変化が起きそうだし、より本音で接していくつき合い方になるだろうなと思ったのでした。