皆様、こんにちは。
今日はマレーシアのトイレと衛生観念についての考察です。お食事中の方はお時間を置かれて読んでいただけますと幸いです。
- 【とにかく色々つらい、マレーシアのトイレ】
- 【なぜ床が水浸し?宗教の訓えが大きく起因】
- 【「後に使う人」に対しての配慮がない水洗浄スタイル】
- 【トイレの衛生観念意識が低いマレーシア】
- 【多くの日本人が持つトイレに対する考え方】
- 【マレーシアのトイレ環境の改善に期待したいこと】
- 【最後に】
【とにかく色々つらい、マレーシアのトイレ】
マレーシアに来たら必ず行くトイレ。マレーシアを訪れたことがある人なら誰しも、日本と比較して高確率で、「おぉ…」と驚愕するトイレに出会ったことがあるのではないでしょうか。
私は1998年に初めてマレーシアを訪れた時から今日まで変わることはなく、マレーシアのトイレに行くことは毎回かなり憂鬱です。外出先でも誰かの家であっても、基本的にマレーシアのトイレが大嫌いです。
マレーシアのトイレは、空港やKL(クアラ ルンプール)中心地の一部のハイブランドが軒を連ねるショッピングモールなどを除き、かなりの確率で床が水でびしょびしょ。床だけならまだ良い方で、便座も壁もさらにはドアや取っ手まで水だらけなんてことも日常茶飯事です。
水しぶき以外に関しても総じていろいろと、全体的に汚かったり便座やタンクやドアなどあちこちが壊れていてとにかく使いずらいというか使いたくないレベルがほとんどです。習慣の違いからトイレットペーパーの設置も常備ではないですし、流れないとか鍵がかからないといったことも日常茶飯事です。
一見小綺麗なモールでもため息が出るレベルですが、さらには親戚周りなどで個人の家に行った際はそれはそれはもうすごいレベルで。素足でびしゃびしゃな床のトイレに入ることが避けられない時の絶望感たるや。
【なぜ床が水浸し?宗教の訓えが大きく起因】
まず、なぜ床がびしゃびしゃに濡れていることが多いのか?について説明をしますと、宗教上の慣習が大きく影響しています。
人口の約64%を占めるマレー系マレーシア人はイスラムを信仰していますが、彼らはその訓えからトイレで用を済ませた後に局部を水で洗って清めるという習慣があります。そのため多くのトイレは水洗い式が主流。水洗いをした後も自然乾燥とばかりにそのまま下着や衣服を身に付けるため、トイレットペーパーを使用する習慣はほぼありません。
また、人口の約6%を占めるヒンドゥー教を信仰するインド系マレーシア人ももともとトイレットペーパーではなく水洗いで洗浄すると言われていますので、つまり人口の約七割近くがもともと水洗いでの習慣でトイレを使用しています。
それ以外の華系やボルネオ島で暮らしている原住民族をルーツとする民族、そしてフィリピンなどから渡ってきている住民達も、その多くはもともと水洗いでの習慣だったと言われていますので、今でもその習慣が残っている地域もあるようです。しかしながら、最近では下水道設備の充実や衛生観念の変化に伴い、トイレットペーパーを使用するスタイルも増えているように見受けられます。
私自身は先述の理由からマレーシアのトイレがいつも水しぶきだらけということは理解していますし、異国を訪れたら基本的には「郷に入れば郷に従え」精神で現地のやり方に沿ってみることも心がけています。
そのため、マレーシアのトイレに設置された水が出てくる洗浄用のホースも、使用が可能な状態かつトイレットペーパーがない状況で使わざるを得ない場面ではたまに活用していました。最初こそ難しかったですが要領をつかめば上手に洗えるし、最終的に綺麗にするために軽く水で局部を洗うこと自体は全く問題ないです。(ウォシュレットの使い過ぎは健康を害するという説もどこかで拝見しましたが、たまに使う程度なら問題ないのかなと解釈しています。)
そして何より、それがマレーシアのやり方であり古くからその習慣で暮らしてきている人が多数いるということ、それは歴然とある事実です。
【「後に使う人」に対しての配慮がない水洗浄スタイル】
ただ、この「洗う」という方法。自分以外の「その後の使用者」に視点を置いた場合、全く衛生的ではなく、そしてとても身勝手な習慣と常々感じています。
水で洗う作法は人それぞれですが、どうしても便座や床に水がこぼれ落ちます。下世話で申し訳ないと感じつつも個室で隣の様子に耳を澄ませてみると、洗浄後に便座や床に向かってバシャーと勢いよく水を巻き散らしてしている様子がうかがえます。つまりは自分の局部を洗った際に飛び散った汚物を(汚い表現ですみません)、さらに床や壁やドアといった広範囲に巻き散らしている感じなのでは?と推察します。
水で洗えばなくなるのか?という問題にぶち当たりますが、もちろん100%はなくならないですよね。洗剤が含まれたもので念入りに綺麗に拭き上げて乾燥させれば、種々菌もほぼ除去できるでしょう。しなしながらそれは清掃スタッフさんが常駐し、使用者が出て来たら毎回全てを綺麗に拭き掃除を行う一部のトイレに限ってできること。ほとんどの人はそれをせず、水で流したらそのまま出てきます。
そしてその後にまだ床も便座も壁もドアも、全てがびしゃびしゃなトイレに入る時の気持ちと言ったらもう。いくら「綺麗に全部流しましたよ。」と言われても、「いや汚いでしょここ。」としか思えません。
ホースも引っ掛ける場所に戻っておらず、床に転がっていることも当たり前。トイレの床なんて雑菌の宝庫ですから、床に転がっているホースなど手でつかむことはしたくありません。湿気が多い場所では雑菌が死滅しないと言われていますから、絶対に不潔です。
これに限らず、トイレ全体の使い方としても自分が用を済ませた後は一切知らんといった感じでゴミ箱の処理も適当。流れてないという状況も多々ありますし、汚いからなのかは分かりませんが便座の上に足を乗せて用を足してしまう人も少なくありません。
タイミング良く清掃スタッフさんが来て綺麗に全部拭き上げてくれる時もありますが、KLの中心部はともかく、外国人居住率が低いエリアではそこまでお掃除が徹底している施設はごくわずかです。家庭のトイレに至ってはまさにその家人たちの衛生観念がそのまま現れます。
誤解のないように書きますが、信仰起因の習慣の水洗いをやめた方が良いと思っているのではなく、その後を綺麗にしようよ!と私は言いたいのです。
【トイレの衛生観念意識が低いマレーシア】
水浸しのトイレは、それ以外の部分についてもいろいろと清潔とは言い難い面が見られることも事実です。トイレ全体を見渡してみれば、人々がトイレをどのような位置づけで見ているかが理解できる光景が広がっていると言ってもいいでしょう。
科学の分野での研究が進み菌への概念が変わった現代となった今、改善したほうが良いのでは?と思える習慣や方法も多いと感じています。
トイレは誰しも共通に欠かすことができない生理現象のための施設で、使用すれば必ず汚れていく要素がある場所。だからこそ自分が使用する際は綺麗に使い、次の人が嫌な気持ちにならないように清潔を心がけることが求められる場所です。
自分が用を済ませたらあとは知らない、清掃の人がやるから、家人の誰かが掃除してくれるから、といった他力本願な気持ちでは絶対に改善はされません。
【多くの日本人が持つトイレに対する考え方】
外国から日本に来た人と話すと、日本のトイレは綺麗だとよく言われます。それぞれの育った環境にもよりますが、日本では子供の頃からトイレ掃除をする人が多いと感じます。私が子供の頃は学校では定期的にトイレ掃除当番が回ってきていたし、家庭でもトイレを綺麗に保つことが躾られていることが多かったです。
もちろん日本で育ってはいてもそういう教育を受けなかった方もいるかもしれませんが、一般的には「トイレを綺麗に」という衛生観念が日本では広く浸透しているのではないでしょうか。
そして、日本ではトイレは汚した人がきちんと綺麗にするという考え方が主流だとも感じています。トイレは汚してしまったりする可能性が高い場所。だからこそそれぞれが幼い頃から培った衛生観念で清潔を心がけて使用し、その上でパブリックのトイレなどでは掃除の方も丁寧に清掃をしてくれることであのような綺麗さを保てていると感じます。
マレーシアで暮らしていて強く感じることは、私自身も含めて日本人が日本で培ってきたようなトイレに対しての高い衛生観念が、ここでは著しく欠如しているのではないかということです。
【マレーシアのトイレ環境の改善に期待したいこと】
日本でずっとトイレを使ってきた立場から見ると、マレーシアの人たちがトイレに対して持っている衛生観念は大人になって急に身につけられるものではないのだろうと感じます。そのため、マレーシアのトイレ環境が急速に改善することは難しいと正直感じてはいます。
ここマレーシアで、どこのトイレでも安心して入ることができる日が来るのはまだまだ先のことと思われますが、少しずつでも人々の感覚がいい方向に変わってくれないかなと感じる今日この頃。
幸いここ数年は、Covid19の影響でマレーシアでも除菌作業に力を入れる人たちも増えてきました。トイレも掃除スタッフが充実する施設も増えてはいて改善の兆しも少しは見られる場合もありますが、全体の意識が変わっていくことはまだまだ難しいのかなというのが率直な感想です。
【最後に】
最後にもう一度、本当に声を大にして言いたい。トイレは皆が使うところ!清潔にして、皆が気持ちよく使えるようにしましょう!と。
マレーシアのように下水設備も整い、施設を維持できる技術と経済力が身に付いた国であれば、あとは人々の衛生観念への意識の変化が伴っていけば容易なことだと思います。
しかしながら、その意識の変化が一番難しいとも感じる今日この頃。人々の意識の変化にどれくらいの年月がかかるのかは、日々マレーシア人たちに囲まれて暮らしている私の身からしても的確な答えは明示できませんが(笑)、これからも長くマレーシアで暮らしていく立場としてその変化を見守っていきたいです。外出先で、ここは汚いかな、ここなら大丈夫かななんて気にしてるうちに何時間もトイレを我慢していた、なんてこと、そろそろ終わりにしたいものです。
いつの日か、マレーシアの公共の場や親戚の家でトイレに行くことがなんら苦痛を伴わない時が来ることを願って、この記事を書かせていただきました。